世の中不公平・・・?
おいコーSSⅡでマスターがいいこと言ってた。
人間は平等でなきゃなんていうのはあくまでも、『チャレンジの機会だけは平等に与えられるべきだ』という意味であってさ。結果が平等なんかであるはずないんだ。結果はむしろ、不平等でなくちゃおかしいんだよ
おいしいコーヒーのいれ方 Second Season 2 明日の約束 (集英社文庫)
- 作者: 村山由佳
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2010/06/25
- メディア: 文庫
- クリック: 16回
- この商品を含むブログ (13件) を見る
チャレンジの機会が平等に与えられるべきってことは、それすらも平等ではないというわけなんだろうか。
幼い時はやはりそうだと思う。田舎生まれと都会生まれや、親が金持ちか貧乏か、ほとんどのことは親の影響で変わってしまうから。
今、22歳という年齢になってチャレンジの機会が平等に与えられるかどうかと言われると、やはり不平等な点は見えてくる。でもほとんどは平等に与えられるのではないかと思う。それをチャレンジするかどうかで異なってくるけれど。
将棋やってると、強い人と指すと強くなれることがよくある。
しかし強い人と指すには自分が強くならなければならない。皆強い人と指せてうらやましいな、不平等だなと思うこともあるけれど、それはやはりそういう機会を無視している自分がいるだけだろうし。全部チャレンジしていたならそっち側にいたんだろうな。
閑話休題。
チャレンジの機会は今となってはほとんどのことが平等になってる。それをやるかどうかは自分次第、と。
結果のほう。
結果は不平等。さすがにこれは当たり前なんだけれど。本の中では競争がなくなるからと。
2人のゲームだったら勝ち負けはっきりつくのに、全員1位とかあり得ない。徒競走にしてもテストにしても上がいて下がいてが当たり前。
だから皆1位になりたくなるのに。
何事も結果が大事。やったことは1番になる。そういう意識があればなれなくてもだいぶ違う。
日本語がまとまらない(笑)
会社の同僚は仲間?友達?
こんな記事があったので。ところでトラックバックってどうやるんですか?リンク貼るだけじゃないですよね・・・?(リンク貼るだけで出来てた・・)
会社の同僚は、議論し合うべきであって、意見を合わせることではない。ものすごく簡略化していうとこのような内容だと思うが。以下では前者を仲間、後者を友達という表現をすることにする。
内容が重なることもあるがそこは勘弁。
働いていない身でどうのこうの言うのはあまりいい感じはしないが、でもノートを見せあいっこするような友達というのはいらないだろう。テスト前に困るというのはよくある、しょうがないことだとも思う。働くのも同じように困ることというのは多々あるだろう。そんなときにどう乗り越えるか。友達であれば答えを聞く、それで終わり。仲間であれば互いの意見から最良の答えを導く。どちらがいいか、なんていうのはわからない。人それぞれだと思う。
でも仲間を求めた人と友達を求めた人の10年後を想像してほしい。どれほどの差がつくかなんて明らかじゃないだろうか。楽しみながらやるということは重要だと思うけれど、苦しみを知らないようでは表面的な楽しさでしかないのだから。仲間とは内面から楽しめる人達だし。
プロになりたいと強く思って練習するのと、これ楽しいなという気分のまま練習するのでは差がついて当たり前だ。
まぁ元記事が秀逸なのでそちらを見てほしい。
かけるも内定者懇親会に参加してきた。内定者が少ないので(リンク先の彼は○百人くらいいるんだろうけれど)、仲間探しということにはならなかった。そのかわりというわけではないけれど、社員含め意識を変えてくれないかな、ということをたくさん話していた。これから仲間になるのだから。
ふと思ったことだけれど、友達よりも仲間のほうが飲み会ひとつ取ってみても楽しいと思う。世間話は誰とでもできるけれど、苦しんだことの思い出話は仲間としかできないだろうし。
徒歩○分
大学卒業したら一人暮らしをすることになりそうなので一応興味があるような感じの記事。
物件を見るときに1つの判断材料となる最寄駅から徒歩5分、みたいな表示。よく見るものではありますが当然ながら基準があって決めてるらしい。その基準は、1分80メートル。そしてそれは直線距離ではなく道路距離とのこと。しかし信号および坂道は考慮されない。
1分80メートルであれば時速4.8キロメートル。平坦な道であれば遅いほう(自分基準)なので問題ないけれど、やはり坂道があれば行きと帰りで時間も変わってくるし、信号待ちの時間を考慮すればかなり数値にぶれがでてくるだろう。実際、我が家は行きは7分、帰りは15分程度である。坂しかないので。
かといってその表示を載せるのに不動産の人は5回往復して平均タイムを書いて下さい、なんてこともできないだろうからしょうがないのだろうか。人によって歩く速度も違うし、信号で止まるかどうかもわからないし。
歩く速度によって時間を二つ書く程度では参考にならないか、徒歩10分、速い人は7分みたいな。うーん・・・微妙だ。
道路距離と上り坂と下り坂の角度と距離を書くか。道路距離800メートル、上り坂4度が200メートル、下り坂無し。うん、これでどれだけかかるか分かる人はいないだろうな。
今のままで落ち着いていると言えばそうなのかもしれないけれど、机上の空論などと言われてしまうと上のような書き方をしなければならない時が来るんだろうか。誰も文句言えないような書き方なんて存在しないんだろうけれど。
もっとも個人的には駅からの距離よりも生活がちゃんと回るような部屋に住みたいと思うのであまり関わりないことではあるが。
どうせなら「最寄駅から10年、築5分」なんていう表示を見てみたい。
落ち着く場所
前2つのエントリーで自分について考えてみたら、やっぱり一番落ち着くのは将棋盤の前であることがわかった。昔落ち込んだ時も将棋に触れ合って立ち直ったこともあるし。
そして、将棋している時の自分は、自分から見ても好きな自分。
将棋盤の前では最大2人、基本的に1人なわけでやっぱりそういう世界にいたほうが頭が冴えるというか、自分らしさが出ている気がする。PC の前でも原理は同じなのかもしれないけれど、安定感が違う。さすが将棋。でも頭を使いすぎて痛くなってくるからあまり居れない。残念。
そして、改めて将棋の勉強を再開。何度再開しているんだろう?笑
9月〜10月にピークが来るように調整していきたいところだが、実戦から離れ過ぎて中盤の戦いがどうしようもない気がする。
個人的な感覚だけれども、序盤は暗記・中盤は実戦・終盤は詰将棋で鍛えるのがベストだと思う。
記憶には昔から自信があるし、序盤感覚はそれなりのものがあると自負しているから序盤はいいのだけれど、その序盤のリードを活かしきれないのも昔からの悪い癖。実戦を増やしていきたいけれど、ネット将棋ではどうも真剣になれません、相手が目の前にいないから。
ネットは序盤研究の穴探しと、終盤の精度の確認程度の将棋になる。中盤なんて・・・いやぁ、中盤が好きな棋風に生まれたかった(笑)
なぜ改めて勉強するかというと、大学最後の団体戦があるのと、4年になって初めてオール学生団体戦に出てみようという案が出ているから。おまけに部の合宿もあるので。真剣に将棋指せるのはそれだけだと思う。大会の対局数を合計しても15局といったところだろうか。合宿入れればもっと増えるだろうけれど。
関係ないけれど、かけるに大きな影響を与えたあの方の誕生日が昨日でした。おめでとうございます。
You love you?
なんとなく英題。
人間だれしも、好き嫌いあるのは当然だけど、自分自身を好きかどうかと言われるとどうだろうか?生きている期間と同じ分だけ自分を見てきているわけだから、良いところも悪いところも、長所も短所も、好きなところも嫌いなところも、なんでも知ってるはず。
長所は何と聞かれて答えるのが難しい場合もあるけれど、おそらくそれは自分の思っている長所と周りが思う長所の差異じゃないかと思う。誰にとっても長所であろう長所と、人によっては長所になったり短所になったりするものもあるわけだし。具体例が出ないけど・・・
そんな、全てをわかっているであろう自分を好きで生きているかどうか。自分を好きだっていう人でも、自分の嫌いなところがあると思う。逆もまた然り。
だから、自分が嫌いな人には好きな部分を強調してほしい。小さくてもいいから、自分自身のここが好きなんだって強く思ってみるといい。きっとだんだん自分が好きになっていく。
それでも見つからないなら、もっと多くの人と触れ合おう。この世界にはいろんな価値観を持ってる人がいて、その小さな好きな部分を認めてもらえるだけでなく、嫌いな部分でさえも肯定してもらえるかもしれない。
自分自身を、自信持って好きだって言えるなら、他の人も好きだって自信持って言えると思うんだ。
居場所
某アニメにて良い言葉に出会った。
「居場所というのは、自分が自分でいられる場所」
どういう状況で言われたかを説明するのは面倒なので省略(ぇ
まず、自分が自分でいるってどういうことか。
これは人によるでしょうが、自分らしさを出せること・自分を偽りなく表現できることみたいなことだと思う。
常に演技していなければならなかったり、自分の考えを出せなかったり。そういうのが自分が自分でいられないってことだろう。
じゃあ、そういう場所ってどういうところか。自宅とか学校とか、あるいはもっと狭いところで PC の前(インターネットの中)とか誰かの前とか。
そういう場所がある人と無い人では、どちらがいいかなんて、もちろんあったほうがいい。自分自身に何があって何がないのか、どういうことに興味があるのか。それがわかるから。
ない人は・・・いったいどうすれば見つけられるのだろう?
素数リストを作ってくれるプログラム
Twitter で区切りのいいつぶやきのときに素数をつぶやいていたので、どうやっていたかの種明かし。
単純にプログラムを書いて動かしてただけなんですけどね。
そのプログラムは以下のようなもの。与えた数字までの素数を全て配列にして返してくれます。n 番目の素数が知りたければその番号にアクセスするだけ。アルゴリズムは原始的なものですけど、数値抜けを防ぐためにそうしてます。
#判定用メソッド。素数ならば true,でなければ false #引数は判定する数値 n と素数リスト prime def judge( n, prime ) i = 2 p = prime[i] while p * p <= n return false if n % p == 0 i += 1 p = prime[i] end return true end #素数リストを作るメソッド #引数 num までの素数リストを作る def prime( num ) prime = [ 2, 3, 5 ] x1, x2 = 7, 5 #素数が出てくる数は 5+6n と7+6n loop{ x1 = x2 + 2 break if num < x1 prime << x1 if judge( x1, prime ) x2 = x1 + 4 break if num < x2 prime << x2 if judge( x2, prime ) } return prime end
相変わらず Ruby で書いてます。C で書いてもいいけどプログラムの本質を理解するためなら Ruby みたいな言語がいいと思う。